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鹿児島地方裁判所 昭和33年(む)1号 判決

被疑者 池田一郎

★ 決定

(被疑者氏名略)

右の者に対する放火被疑事件について、昭和三十三年一月六日鹿児島地方裁判所裁判官竜岡稔のした勾留請求却下の決定に対し、同日検察官から準抗告の申立があつたので、当裁判所はつぎのとおり決定する。

主文

原決定を取り消す。

理由

検察官の準抗告の理由は、別紙準抗告理由申立書のとおりである。

本件記録を精査すると、

一、被疑者は大隅警察署に自首してはいるが、右自首はかならずしも被疑者みずから進んでこれをしたものではなく、自首前その父親から「お前がやつただろう」と追及され、はじめはこれを否認していたがついにこれを自白し、父の勧めで、その付添のもとにこれをしたものであることが認められ、現在他に的確な物的証拠もない本件においては、いまだ被疑者がその罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がないとはいえない。

二、被疑者は、昭和三十二年十一月頃長崎県の炭坑に炭坑夫として働き、正月のために同年十二月末父の住居である肩書住居地に帰来したものであり、本件被疑事実の重大性にかんがみ、いまここで被疑者を釈放するときは逃亡すると疑うに足る相当な理由がある。

よつて本件について、検察官の勾留請求を却下した原裁判は失当であるから刑事訴訟法第四百三十二条、第四百二十六条第二項によりこれを取り消すこととし、主文のとおり決定する。

(裁判官 池畑祐治 田上輝彦 高林克已)

★ 別紙

準抗告理由申立書

放火 池田一郎

右の者に対する頭書被疑事件につき、昭和三十三年一月六日勾留請求却下決定に対し準抗告をなした理由を左記の通り申し立てる。

(中略)

本件の被疑事実は被疑者に対する本件逮捕状記載の通りであるが、勾留請求に対する却下の理由は刑事訴訟法第六十条所定の理由がないとしておるものの如くである。

然しながら、被疑者に対する勾留の理由の存否並びに必要性につき検討するに、

(一)被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由について。

司法警察員作成に係る実況見分調書、司法巡査宮山敬博作成に係る放火被疑事件現場写真と題する書面、参考人森元辰雄、同藤森フク、同藤森功、同藤森一郎、同池田キクノ及び同池田善五郎の司法警察員に対する各供述調書、並びに被疑者の司法警察員に対する自首調書、供述調書等により被疑者が逮捕状記載の放火被疑事実を犯したことを疑うに足りる相当な理由があると謂うに十分である。

(二)刑事訴訟法第六十条第一項第二号の事由について。

被疑者は本件犯行を自首し逮捕されてから後司法警察員の取調に対しても犯行を一応自白しているとは云え未だその詳細を尽さず被疑者の司法警察員に対する自首調書、供述調書を仔細に検するに、放火犯罪の重要点である「犯行の動機」と「犯行の手段」の二点において曖昧な点がある。即ち

(イ)犯行の動機について

被疑者の司法警察員に対する自首調書中には犯行の動機につき「一月一日午後六時頃煙草を買いに家を出たが別れた妻の事を思い出し妻の実家の方へ行つた、歩きながら妻に会つても仕方がないと考えて引返し又思い直して妻の実家の方へ行きこのことを二、三回繰り返した、妻の実家の牛小屋の前に来た時男の声で『二人して引張つて来いちやかんちやかんに張倒してやる』と云う言葉が聞えたので『よし奴等がそう思つて居るならばこの牛小屋に火をつけてやれ』と考えて火をつける気になつた」旨の供述記載があつて、これによれば本件犯行の動機は一見単純の如く見受けられるが、他方被疑者作成の上申書及び被疑者の司法警察員に対する第二回供述調書中には「別れた妻は妻の兄藤森一郎の弟子嶽政良と特に親しくしていた様子であり離婚話が出てから後姉が妻の家に行つた時も妻は嶽政良と二人で何処かえ出て行つてしまつて話も出来なかつた位であつてそれを聞いて癪にさわつてたまらなかつた」旨の供述記載があり被疑者の本件犯行の動機は妻の離婚前より離婚後にかけて嶽政良と特に親しく交際していたことより妻が離婚するに至つたのは嶽政良のためであると考えて自己を裏切つた妻の態度に憤りを感じたものとも思料され、前記引用した自首調書の内容と照合すると被疑者の自首は頗る曖昧である。

(ロ)犯行の手段について

本件犯行の手段につき、被疑者の司法警察員に対する自首調書中「牛小屋の壁の中頃の板が外れたところがあつてその天井の方から外の方に藁が少し出ていたのでそれにマッチにて火をつけた」旨の記載があるが他方被疑者の司法警察員に対する第二回供述調書中には「マッチをすつて天井からさがつていた藁に火をつけた」旨の簡単な記載があるのみで犯行の手段につき尚曖昧模糊としている。

かくの如く本件は未だ犯行の動機手段等の重要点において曖昧であり、本案の真相を完全に自白しているとは見受けられない。元来放火犯罪の捜査の困難なことは周知の事実である。それは主として証拠蒐集の困難性に依るのである。よし被疑者が完全な自白をしていたとしても、それが客観性のある真相を物語るものであるか否かを証拠によつて究める必要がある。まして本件の如き不完全な自白においておや。

被疑者が単に一応の自首をしているという只それだけの事で被疑者に絶体に証拠隠滅のおそれなしと即断するの誤りは自白が浮雲の如きものであるという過去の実績に徴し余りにも明白である。

本件事案を明白ならしめるには、被疑者と各参考人との交通を遮断して取調べる以外にその途はないが、本件の如き参考人藤森フクは被疑者の元の妻、参考人藤森一郎はその義兄、参考人池田キクノ同池田善五郎は被疑者の両親である等の関係にあつて被疑者が勾留されない限り被疑者と交通されることは自明の理であり、従つて証拠隠滅工作のおそれ多分にあるものというべきである。

叙上諸事情を綜合すれば、被疑者を釈放するにおいては、罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由がある場合に当るものといわなければならない。

(三)刑事訴訟法第六十条第一項第三号の事由について。

被疑者の司法警察員に対する自首調書及び被疑者の母池田キクノの司法警察員に対する供述調書によれば、被疑者は昭和三十二年十月二十三日妻フクと協議離婚をなしその後二、三日して長崎県に赴き同県松浦市調川町にある中島鉱業所の炭坑充填夫として働くようになり偶々正月休みのため同年十二月三十日に本籍地に帰郷したものにして、被疑者が本籍地を離れて他県に稼働しているものである点及び被疑者が放火罪という重罪を犯していることより考えると、前記被疑事実に対する捜査官の追及を免れるため多分にその所在を晦まし逃亡する虞れなしとしない。

(四)前記(一)記載の通り被疑者が放火の罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある上、前記(二)、(三)記載の通り罪証隠滅並びに逃亡すると疑うに足りる相当な理由も又存し、被疑者を勾留し他との関係を遮断して捜査するに非されば本件犯行の動機、犯行の手段等その真相を究明し難く正に勾留の必要があるものといわなければならない。

因て勾留請求却下の原決定は不当に付、速かに御詮議の上原決定を取消し勾留状の発付方を願う次第である。

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